お侍様 小劇場 extra

    “だってネコだもん♪” 〜寵猫抄より
 


俳句や何やにたずさわる、
風流なお人の言う“暦の上で”というのなら、
もう既
(とう)に四季の最後へと。
今時の暦であるカレンダーの上でも、
昨日から“師走”という本年最後の月へとなだれ込み。
会社にお勤めの方には“年末調整”とかいう、
年度末のそれとは別口の特別決算が待ち構え。
税金関係にもそういうのがあってのこと、
市区町村のお役所からのもの、
未納ですよ、若しくは納め過ぎてましたよという通知が飛び交い。
この忙しいのに窓口まで来いとは尊大なと、
ぶつぶつ言いつつのお出掛けという手間も増えたりし。
そんなこんなの合間を縫って、
大掃除もしなくちゃならない、
年末年始のお買い物の予定も考えないと。
お歳暮を送る人のリストアップは済ませていたかな?
あ、年賀状の図案は決めましたか?
そうそう欠礼のはがきが何通か来てましたよね。
住所録も書き直さないと…という、
そういう寂しいお話もあれば。
でもでも年賀状といや、
新しい家族が増えましたという報告を兼ねて、
家族写真を使うお人も年々増えつつあって。
ウチでも畏まらないお友達へのはそれにしますか?
久蔵と一緒の写真、
気に入ったのをあちこちに飾ってるくらいなんですし。
え? 器量よしだからって、
またぞろ あちこちから引き合いが来ては困る?
それもそうですねぇ。
あのカレンダーって、結構売れたそうですよ?
久蔵のお顔が、あちこちのお宅に飾られるんですねぇ。




      ◇◇◇



そんな師走に入ったとはいえ、
普通一般のお勤めに出る人や学生さんが居るお家じゃあないせいか、
島田さんチは特に日頃と変わったところは見受けられず。
ああ、それでも、
リビングにはクリスマスツリーがお目見えしたし、
玄関ドアのノブには、
カーテンを束ねる房飾りのタッセルを思わせる、
組み紐の輪っかを取っ手へ引っかけるタイプのオーナメントが提げられており。
金の縁取りをした緑のリボンの結び目へ、
ワンポイントにとくっつけられた、
ミニチュアの赤いリンゴという装いが、
洋館風な玄関先の佇まいと相俟って、
クリスマスを待つお宅らしい趣きをちらりと覗かせてはいる。
居間の一角に据えられた、青々とした緑のモミの木には、
リンゴを見立てたものかカラフルなグラスボールに、
金や銀のモールや、星と天使のオーナメントが幾つも下がり。

 『最近じゃあ、電飾と金のモールと、
  あとは大きく結ばれた真っ赤なリボンだけで飾るってのも流行だとか。』

ポインセチアの代わりでしょうかねと、七郎次が持ち出した話題へ。
何の、サンタだソリだと小さな小物をたんと提げてちゃあキリがないと、
教えも知らぬズボラな奴が考えた“デザインツリー”とやらに過ぎなかろうなんて。
勘兵衛としては 感心出来ぬディスプレイだと言いたいらしい、苦言をちらり。
そういや発光ダイオードが持て囃されて、
やたらと青いツリーが流行った年も、
冷たいばかりでどうも なんて、いいお顔はしなかった御主を、
ついつい思い出してしまった七郎次であり。

 “そういうところは成程、
  頑迷で恐持てのするせんせい、かもしれませんね。”

いまだに時折あちこちで耳にする、
作家・島田先生への評のうち、
文学関係者らしからぬ精悍な風貌でおいでなの、
険しく見えなくもないお顔立ちだとし。
そんな印象だからと、
初見のお相手から怖がられることも少なくはない勘兵衛なのへ。
だがだが、家人として彼をよ〜く知っている七郎次としては、
そういう評を聞くたびに、隠し切れない苦笑が絶えなくて堪らない。
確かにまま、頑迷なところはあるし、
物事への捉え方や考えようも古風な方かも知れない彼だが。

  とはいえど

それがポーズを気取った“外面
(そとづら)”だ…とまでは言わないものの、
日頃の勘兵衛にはさほどの気難しさを感じないからで。
たとえば例えば、

 「…独りか?」
 「おや。」

執筆中だった筈の勘兵衛が、ひょいとリビングへ顔を出したので、
息抜きらしいなと笑顔を向けた七郎次であり。
勘兵衛が掛けたお声のその通り、
暖かな陽射しが降りそそぐリビングには、
手近に置いていた茶器へと手を伸ばす彼の姿しか見受けられず。

 「久蔵でしたら あそこですよ。」

茶櫃に収めてあった勘兵衛の湯飲みをテーブルへと出しつつ、
空いたその手で指さして見せたのが庭の方。
仔猫が外で遊ぶときも必ず一緒の彼であるはずが、
何でまた今日は 内と外という距離を置いていたかと言えば、

 「………お。」

少し高い位置を指さした七郎次が示した先というのが、
木蓮の樹の向こう、
それを足掛かりにしてなら仔猫の久蔵でも登れる塀の上。
そこもまた陽あたり抜群なブロック塀の上には、
白っぽいフリースの上下を着た坊やが、
ふわふかな金の綿毛を陽にけぶらせ、
小さなその身を丸めている後ろ姿と、それから。
それへ寄り添う黒っぽい塊がおり。

 「また来ておるのか、あやつ。」
 「何ですよ、そんな言い方をして。」

キュウゾウくんと同じで、久蔵のお友達じゃあありませんかと。
少々低く くぐもらせての、ご不満そうな声になったのへと、
宥めるような言いようをする七郎次なのも いつものこと。
隣り町の呉服屋さんで飼われている身なのに、
時々わざわざ遠路はるばる来てくれる、
久蔵のお友達の真っ黒な黒猫さんは、そのお名前を“兵庫さん”といい。
ひょんなご縁から、ご主人ごと顔見知りになって以降、
時にはご飯よりも優先してまで、
久蔵が飛びつきにゆくご贔屓さんでもあって。
手入れのいい毛並みに、すらりと引き締まったスタイルの良さ。
そして、滅多に愛想を振らない、気位の高そうな態度が、
隙のない素振りと相俟ってのこと、
まるで貴籍のお人のようだと、誉めそやされてもいる彼なのだが。

 “何て切っ掛けがあった訳でもないんですのにね。”

どういうものか その黒猫さん、
当家の家長である勘兵衛様からは、微妙な不興をかっておいでであり。
多少つれないのは大人猫にはよくあること。
庭を荒らしたり樹を引っ掻いたりするほど行儀が悪い訳でもなし、
つんとしていて愛想がないのは、
最低限のそれとして警戒心を見せているだけのことではと、
七郎次が抗弁するのさえ面白くないらしい。
たかが猫ではないかと、
それへの態度や感情としては、些か大人げないという自覚はあるらしいものの。
他所様にはそうと見えてるらしい、
ぽあぽあとしたキャラメル色の毛並みを、
くるんと小さく丸めた当家の仔猫が、
その懐ろに掻い込まれ、くうすうとお昼寝している微笑ましい構図も、
壮年殿にしてみれば“ウチの愛娘に悪い虫が”的な図にしか見えないようで。

 “といいますか。
  まだまだ幼い子供が親離れの切っ掛けを見つけつつあるようで、
  それを認めるのがおイヤなのでしょうよ。”

キュウゾウくんはまだまだ子供だが、
あちらさんはどう見ても、猫の世界では十分に大人のようですし。
要らぬ知恵をつけられでもして、猫としての成長が始まれば、
あの、自分らにだけ見えている愛らしい姿も、
それに伴ってのこと一気に育ってしまうかも?

  ―― それだけは許しません

この私に何の挨拶も断りもなく…ということで、
気に入らないのであるならば。

“そこはやっぱり、
 愛し子についた悪い虫にしか見えなくとも、
 仕方がないのかなぁ。”

このごろでは先んじて執り成すのも諦めて、
何にも言わぬようにしている七郎次であるらしく。
微妙に眉間を顰めておわす御主の目の先、
すっかり葉が落ち、
見通しも良くなった木蓮の梢の向こうでは。
通りすがりのお人には、
お手玉くらいの小さな毛玉にしか見えぬ、
小さな小さなメインクーンの仔猫。
お兄さん猫の背中へ小さな顎を乗っけて、
目許には糸を張っての、そりゃあ安寧なお昼寝の真っ最中であり。
時折 大きめのお耳をぴくくっと震わせるのは、
何か夢でも見ているせいか。
冬とは名ばかり、
まだそれほどには寒さも厳しくはないこと思わせる、
ほのぼのとした風景だったのだけれども……。





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*背景の写真素材をお借りしました→ “路上にてこだぬき捕獲”サマヘ**


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